大鹿村中央構造線博物館



その他全国各地の中央構造線露頭

目次

  1. 砥部衝上断層(愛媛県砥部町)
  2. 湯谷口露頭(愛媛県西条市丹原町)
  3. 月出露頭(三重県松阪市飯高町)
  4. 長篠露頭(愛知県新城市長篠古渡)
  5. 下仁田川井の断層(群馬県下仁田町)

1. 砥部「衝上断層」露頭

概要

愛媛県伊予郡砥部(とべ)町岩谷口
松山市駅から南へ10kmにある露頭。松山市駅から「砥部断層口」行きのバスが出ています。1938年に国の天然記念物に指定されています。

露頭の様子


砥部川東岸に露出している部分。1999年4月25日撮影。
Iz:和泉層群(おもに砂岩)、(Iz):和泉層群の破砕岩、An:「安山岩脈」、赤矢印:断層、Km:久万層群明神層


西岸にある説明板


西岸側の断層面(ハンマーの位置)、下盤:久万層群明神層(れき岩)、上盤:いわゆる「安山岩脈」

露頭説明

断層面は、内帯側へゆるく傾斜しています。45°よりも水平に近い角度でのし上げた逆断層を「衝上(しょうじょう)断層」といいます。

北側は、領家変成帯をおおって、白亜紀末に堆積した和泉層群です。断層付近は破砕岩になっています。

南側は久万(くま)層群明神層です。久万層群は、三波川変成帯と和泉層群を覆って堆積した地層です。久万層群下部の二名層はおもに三波川変成岩のれき、上部の明神層はおもに領家花崗岩や和泉層群の砂れきからなる堆積岩です。久万層群は、約4000万年前の古第三紀始新世に堆積したとされていました。

中間の淡褐色の部分は、断層に沿って入り込んだ安山岩脈だとされてきました。

この露頭では、和泉層群が、久万層群にのし上げた形になっています。別の場所で、久万層群の一部が和泉層群をおおっています。つまり古い和泉層群が、その上の新しい久万層群にのしあげた「逆断層」です。そこで、久万層群が堆積したと考えられた第三紀始新世以後に、中央構造線の逆断層再活動があったことを示す証拠となる露頭とされてきました。この和泉層群が、久万層群にのし上げた再活動を「砥部時階」といいます。

近年、久万層群上部の明神層については、新第三紀中新世の微化石が発見され、凝灰岩層から1600万年前という年代が得られ、新第三紀中新世の地層であることが明らかになりました。したがって、砥部時階の年代も1600万年前以降に見直されました。一方、断層付近の「安山岩脈」とされた岩石は、砥部時階の逆断層運動によって明神層の下の三波川変成岩が引きずり上げられ、のちに熱水変質を受けたものであることが分かりました。

また、明神層と「安山岩脈」との間の断層ガウジ(浅部で形成され、固まっていない粉砕物)が、正断層(引っ張られて落ち込む動き)の痕跡を残していることが分かりました。その断層ガウジから1500万年前の放射年代が得られています。この年代は断層運動にともなう熱水の活動によるもので、熱水変質も、このときのものであると考えられます。

1500~1200万年前には、南北方向の引っ張りによる、石鎚火山岩の噴出や多数の岩脈の貫入があったことが知られています。そこで、1500~1200万年前の南北の引っ張りと岩脈の貫入の時期を「石鎚時階」と呼ぶことが提案されています。南北圧縮により和泉層群が久万層群明神層にのし上げた「砥部時階」が、明神層が堆積した1600万年前の直後とすれば、1500万年前の石鎚時かの始まりまでの100万年間よりも短い時間のうちに、南北圧縮から南北伸張に、力の向きが変わったことになります。

断層露頭から南へ約100メートルさかのぼった河床に、明神層と三波川変成岩の境界が出ています。ハンマーの右上が明神層、左下が三波川変成岩です。三波川変成岩は角れき化しています。

文献

鹿島愛彦・武智賢樹(1996) 『四国、久万層群凝灰岩のFT年代とその地史的意義』日本地質学会第103年学術大会講演要旨p132。
柴田 賢・中島 隆・寒川 旭・内海 茂・青山秀喜(1989) 『四国における中央構造線の断層ガウジのK-Ar年代』地質調査所月報第40巻p661-671。
高木秀雄・竹下 徹・柴田 賢・内海 茂・井上 良(1992) 『四国西部、砥部衝上断層における中新世中期の正断層運動』地質学雑誌第98巻p1069-1072。

 

2.湯谷口露頭

概要

愛媛県西条市丹原町湯谷口
伊予小松駅から南西へ10kmにある露頭。1949年に愛媛県天然記念物に指定。松山市と新居浜を結ぶ国道11号線の道沿い北側に説明板があります。そのすぐ北側の中山川の河床に露出しています。

露頭の様子


中山川北西岸に露出している部分。2005年3月8日撮影
Sb:三波川変成岩、An:安山岩脈、Iz:和泉層群


中山川南東岸に露出している部分を下流から上流へ向かって撮影 
和泉層群の下面に貫入した安山岩脈と和泉層群の境界面はうねっていて、和泉層群(Iz)の下から安山岩脈が顔を出しています(画面左下のAn)。奥に見える橋は、松山自動車道の中山川橋。西条市教育委員会の今井さんが、案内してくださいました。


カタクレーサイト(破砕岩)化した和泉層群。 
この部分は、左横ずれ、または正断層のように見えます。

露頭説明

断層面の傾きは、砥部の露頭と同じように、内帯側へゆるく傾斜しています。露頭全体のみかけとしては、和泉層群が低下した正断層で、断層面に沿って入った安山岩脈が目立ちます。カタクレーサイト(破砕岩)の放射年代として6000万年前、安山岩の放射年代として2000万年前という年代が得られています。カタクレーサイト(破砕岩)や断層ガウジ(浅所で変形を受けてできた固まっていない破砕物)には、逆断層と正断層の痕跡があるとされています。

1941年に、小林貞一により、中央構造線のおもな活動として、鹿塩時階、市ノ川時階、砥部時階、菖蒲谷時階が提唱され、鹿塩マイロナイトがつくられた鹿塩時階が中央構造線の最古期の活動と考えられたことは、前節で述べました。

市ノ川時階は白亜紀末期の和泉層群堆積後に和泉層群が三波川帯にのし上げた活動、砥部時階は久万層群明神層に和泉層群がのし上げた活動、菖蒲谷時階は新第三紀末~第四紀前期の大阪層群菖蒲谷層(紀ノ川沿い)に和泉層群や三波川変成岩がのし上げた活動とされました。近年、これらのほかに、赤石山脈地域の中央構造線が赤石構造線とともに左横ずれした赤石時階(新第三紀の2700万~1500万年前)と、四国を中心に正断層活動とともに岩脈が入り込んだ石鎚時階(1500万~1200万年前)が提唱されています。

湯谷口露頭で得られた、古第三紀初めの6000万年前という放射年代は、市ノ川時階のものとされています。四国北西部には石鎚時階の岩脈がたくさん見られます。しかし、この露頭の安山岩脈の2000万年前という放射年代が正しいとすると、例外的に古く、石鎚時階とはうまく合っていません。

活断層としての中央構造線

中央構造線に沿って、新しい時代にできた地形や地層をくいちがわせている断層を、「中央構造線活断層系」または「活断層としての中央構造線」といいます。はじめから地震評価だけを目的としている国の 地震調査研究推進本部は「中央構造線断層帯」と呼んでいますが、その場合は活断層以外の、地質境界としての中央構造線をはじめ過去の時階の露頭は評価対象ではありません。

湯谷口露頭から真北に約100メートルに、活断層が並走しています。川岸の露頭から小さな丘をこえると宝が池のため池があります。丘とため池のあいだの小斜面が、活断層とされている地形です。丘の側が上がり、ため池側が下がったとされています。この画像は、ため池のダム堤から活断層の延長方向(赤線)を写したものです。右側の竹やぶがある小丘をこえた反対側の川岸に露頭があります。

文献

岸 家光・原 郁夫・塩田次男(1996) 『市ノ川時階~砥部時階における中央構造線に沿う浅所岩石の変形様式-愛媛県丹原町湯谷口の例、テクトニクスと変成作用(原 郁夫先生退官記念論文集)』p227-232創文。
水野清秀・岡田篤正・寒川 旭・清水文健(1993) 『2.5万分の1中央構造線活断層系(四国地域)ストリップマップ』地質調査所。
高木秀雄・柴田 賢(1992) 『断層ガウジのK-Ar測定-中央構造線における例』地質学論集第40号p31-38。

 

3.月出露頭

概要

三重県松阪市飯高町月出
国道166号線の奈良三重県境の高見峠から、直線距離で東北東へ約10km。松阪市桑原の国道から北へ分岐する林道を4kmほどたどったワサビ谷に露出しています。2002年に国の天然記念物に指定されました。

露頭の様子


幅50m×高さ80mの中央構造線の最大露頭。1999年10月13日撮影。


露頭左側の灰色部分は領家変成帯の花崗岩類が断層深部で変形したマイロナイト。地質境界に接する幅3~5m(淡褐色部)は、浅部上昇後に再び変形を受けてカタクレーサイト(破砕岩)になっています。右側は三波川変成帯の泥質片岩が変形したカタクレーサイト(破砕岩)です。地質境界のごく近くは、断層ガウジ(固まっていない粉砕物)~断層角れき(固まっていない破砕岩片)が見られます。


露頭最下部のワサビ谷の川底に露出している、断層ガウジ。
Ry:領家変成帯、Sb:三波川変成帯。左横ずれが読み取れます。

露頭説明

和歌山より西では、領家変成帯は和泉層群におおわれていました。この三重県の月出露頭は、領家変成帯の花崗岩を原岩とする断層岩と、三波川変成帯の泥質片岩を原岩とする断層岩が、直接接しています。領家変成帯と三波川変成帯の地質境界である中央構造線の基本的な姿が見られる大露頭として、2002年に国の天然記念物に指定されました。

文献

島田耕史・高木秀雄・諏訪兼位・林田守生(1999) 『紀伊半島の中央構造線と領家帯の変形』日本地質学会第106年学術大会見学旅行案内書p141-162。
諏訪兼位・宮川邦彦・水谷総助・林田守生・大岩義治(1997) 『紀伊半島中部、中央構造線の大露頭:月出露頭(三重県飯南飯高町月出ワサビ谷)』地質学雑誌第103巻第11号口絵。

 

4.長篠露頭

概要

愛知県新城市長篠古渡

国道151号を新城から長篠方面に向かい、豊川(寒狭川)にかかる長篠大橋を渡るとすぐに、国道の右側に「馬場美濃守の墓・中央構造線の露頭」入口の看板があります。車を乗り入れるとすぐに小さな駐車場があります。歩道を下ると、豊川に面した崖に露頭があります。新城市が設置した足場と説明看板があります。新城市指定文化財。

露頭の様子

My;花崗岩を原岩とするマイロナイト源カタクレーサイト(破砕岩),Sb;泥質片岩源カタクレーサイト,MTL:中央構造線(地質境界).2011年9月6日撮影

左上が内帯側、右下が外帯側、水平に近い中央構造線で接しているように見えます。弱い泥質片岩が崩落し、断層面で少しオーバーハングになっています。

露頭説明

両帯の岩石が、内帯側に低角(水平に近い角度)で下がる姿勢の断層面で接していることが特徴的。低角の逆断層で内帯側が外帯側に衝上したと考えられます。

断層ガウジには正断層センスの変形が見られ、逆断層から正断層に、ずれ方が変化した可能性があります。

参考サイト

キラッと奥三河観光ナビ「中央構造線長篠露頭 」の紹介
新城市ホームページの「中央構造線長篠露頭 」紹介 

5.下仁田川井の露頭

概要

群馬県甘楽郡下仁田町
上信電鉄下仁田駅から西へ700m、西牧(さいもく)川を渡った善福寺下の河床に露出しています。説明板とポストがあり、ポストには解説チラシが入っていました(2002年時点)。現在は、下仁田ジオパークのジオサイトに指定されています。

露頭の様子


西牧川東岸から西岸を望む。2002年9月撮影。

川底を中央構造線が通っています。手前は新第三紀富岡層群下仁田層、対岸は三波川変成帯の御荷鉾(みかぶ)緑色岩。


富岡層群下仁田層のカキ化石。 
内帯側は新第三紀の富岡層群下仁田層の中~粗粒砂岩です。堆積物に三波川変成帯の岩片はふくまれず、領家変成帯の上に堆積した地層です。北方1kmには、花崗岩が露出しています。


西岸の露頭。平井節夫さん撮影。 
断層ガウジ帯を切る最新の断層は、1万3千年前より新しい段丘れき層を食いちがわせている活断層です。

文献

小林健太・新井宏嘉(2002) 『日本地質学会第109年学術大会見学旅行案内書』p86-107。