大鹿村中央構造線博物館



【詳細解説】北川露頭標本

目次

中央構造線北川露頭標本とは?

展示室①の正面に飾ってあるのが、中央構造線北川露頭標本です。


展示室①正面に北川露頭の様子

大鹿村北川では、鹿塩川が蛇行して中央構造線を横切って流れているため、川沿いの崖に中央構造線の断面が見えており、「中央構造線北川露頭」として国の天然記念物に指定されました。

北川露頭標本は、断層中心部の2.5×3.5mを接着剤とFRP(ファイバープラスチック)で固め、人力で掘り取ったホンモノの標本です。

裏側からFRPで固めなおし、はじめの表側のFRPを取り去ることで、
じっさいの露頭と同じ面が見えるようになっています。


写真赤枠の部分を掘り取ってきました。

現在、北川露頭は、露頭表面を、風化して上から崩れ落ちてきたボロボロの岩石に覆われてしまい、地質境界の部分が隠れてしまっていますので、中央構造線近傍の様子を詳しく観察されたい方は、是非博物館に展示されている露頭標本をご覧ください。

 

北川露頭標本の注目ポイント

そもそも中央構造線とは?

中央構造線は、中生代(恐竜の時代)にできた日本列島の骨組みを
大きく組み替えた大断層です。

西南日本の、中央構造線の日本海側を内帯、太平洋側を外帯といいます。

中央構造線を境に、
内帯側の領家(りょうけ)変成帯と、
外帯側の三波川(さんばがわ)変成帯が接しています。

中央構造線を境に異なる岩石が接している!

北川露頭標本では、中央構造線と白字で書いてあるあたりを境に、領家変成帯の岩石(左側/花崗岩)三波川変成帯の岩石(右側/結晶片岩が接しています。


北川露頭標本

真ん中へんの黒っぽい部分は、変質が進んでおり、もとの岩石がわかりにくいのですが、領家変成帯の花崗岩であったと考えています。花崗岩が変形を受け、さらに砕けた破砕岩が、後に上昇してきた熱水で変質して黒くなった部分ではないかと推定しています。

中央構造線は長い間にいろいろな動きをしてきた!

中央構造線は恐竜の時代に1億年前ごろに誕生した後、時代によっていろいろな再活動をしていたことが知られています。この露頭の領家変成帯と三波川変成帯の岩石が接する境界は、1500万年前ごろの左横ずれの再活動で上書きされた境界と考えられます。さらに

→⑤その末期の活動で熱水が上昇し破砕岩が黒く変質。
→⑥力の向きが変わって生じた、東側が西側の上に押しかぶさる多数の小規模な低角逆断層(衝上断層)群
→⑦さらに力の向きが変わって生じた横ずれ断層ですり潰されてできた断層粘土。
→⑧断層粘土を一直線に切る最新の断層

がオーバーラップしていることが見て取れます。

北川露頭標本を構成する岩石

領家変成帯と三波川変成帯

「変成岩」とは、岩石が地下で高い温度や圧力を受け、固体のまま化学反応が起こり、もとの岩石の鉱物が別の鉱物(変成鉱物)に変わってしまった岩石です。もとの岩石のちがいと、温度や圧力のちがいにより、異なった変成鉱物の組み合わせをもった変成岩ができます。同じ時代に同じ温度と圧力でできた変成岩が、広い範囲で連続して露出している地域を、ひとつの「変成帯」といいます。

領家変成帯と三波川変成帯は、変成を受けた年代はほぼ同じですが。温度と圧力の条件がちがう場所でできた変成帯なので、もとは離れた場所にあったはずです。のちに、中央構造線の大きな断層運動(ずれ動き)により、接するようになりました。領家変成帯と三波川変成帯は、誕生した時は中間部分をはさんで並走していました。

中央構造線ははじめに数100kmの横ずれで始まったと多くの研究者が考えています。横ずれだけでなく、深い場所でできた三波川変成帯が上昇して、領家変成帯と接するようになりました。

以下に、領家変成帯と三波川変成帯の岩石を紹介します。ただし、露頭の岩石は断層運動による破砕岩になっており、もとの岩石とは様子が異なります。とくに領家変成帯側の岩石は、もとの岩石の推定が困難なほどの破砕と変質を受けています。

領家変成帯の岩石

領家変成帯の変成岩の、変成作用を受ける前のもとの岩石は、中生代ジュラ紀(2億年前~1億4500万年前)にできた付加体である丹波‐美濃‐足尾帯の火山岩や堆積岩です。中生代白亜紀後期の約1億年前~8000万年前に、高温のマグマが上昇してきたために地温が上がり、深さのわりに高い温度で鉱物が変化して「高温低圧型の変成岩」に変わりました。入り込んできたマグマは、地下で固結して花崗岩になりました。


片麻(へんま)岩(砂泥質片麻岩):もとは堆積岩の一種の砂岩~泥岩。縞々の見かけを「片麻状」と言います。暗色の変成鉱物と無色の変成鉱物がそれぞれ層状に集まって縞をつくっています。白っぽい部分には石英、黒っぽい部分には黒雲母が集まっています。キラキラと赤銅色~金色に光っているのが黒雲母です。


花崗(かこう)岩:岩石が溶けて液体になったものを「マグマ」といい、マグマから冷え固まった岩石を「火成岩」といいます。マグマが地下でゆっくり固まった火成岩を「深成岩」、地表に噴いて急速に固まった火成岩を「火山岩」といいます。また、珪酸分(石英分)が多いマグマから固まった火成岩を「珪長質岩」または「酸性岩」、マグネシウムと鉄が多いマグマから固まった火成岩を「苦鉄質岩」または「塩基性岩」といいます。花崗岩は、珪長質の深成岩です。珪長質の火山岩は流紋岩(りゅうもんがん)といいます。珪長質岩は、石英や長石などの無色鉱物が多く、岩石全体でも白っぽく見えます。地下でゆっくり冷え固まった深成岩は、結晶が十分に成長できるため、すべての鉱物が肉眼で見分けられる以上の大きさの結晶になっています。

三波川変成帯の岩石

三波川変成帯の変成岩の、変成作用を受ける前のもとの岩石は、最近までジュラ紀にできた付加体である秩父帯の岩石だと考えられてきましたが、白亜紀(1億4500万年前~6600万年前)の付加体である四万十帯北帯の岩石の一部であることが明らかになってきました。白亜紀の付加体の岩石がそのまま冷たい海洋プレートの沈み込みによって深く引きずり込まれ、約8000万年前に深いわりに低い温度で鉱物が変化して「低温高圧型の変成岩」に変わりました。プレート沈み込み境界に近い変動帯で偏った力を受けたため、低温のゆっくりした化学反応で生じた変成鉱物が方向性を持って線状あるいは平板状に成長し、板を重ねたような見かけの結晶片岩になっています。


緑色片岩(苦鉄質片岩):もとの岩石は、海底に噴出した玄武(げんぶ)岩です。玄武岩は苦鉄質火山岩です。苦鉄質深成岩は斑れい(はんれい)岩といいます。海洋プレート上の海底に湧いた玄武岩には、海水と反応して水を含む変質鉱物が生じ、さらに海洋プレートとともに沈み込むときに、変成作用を受けて、緑色の変成鉱物が生じました。水を含む変質玄武岩がさらに弱い変成作用を受けた岩石を「緑色岩」といいます。緑色岩がさらに低温高圧の変成作用を受けて結晶片岩になったものを「緑色片岩」または「苦鉄質片岩」といいます。緑泥石という変成鉱物を含むため「緑泥片岩」とも呼ばれました。、


黒色片岩(泥質片岩):もとは泥岩。低温での化学反応のため、片麻岩のような黒雲母はできていません。微細な白雲母(絹雲母)を含むため「絹雲母片岩」とも呼ばれました。平たく成長した変成鉱物がつくる面に沿って、剥げるように割れます

断層岩類

いま露頭に見えている岩石は、もともと地表にあったわけではありません。中生代白亜紀の約1億年前には、領家変成帯の岩石は10~15km、三波川変成帯の岩石は、15~30kmの深さにありました。その後の変動で、上昇するとともに地表付近が削り取られることをくりかえし、(沈降して上に地層が堆積したこともあったかもしれませんが、)現在の地表にあらわれています。その間に、いろいろな深さで、くりかえし断層運動(ずれ動き)を受けています。ずれの向きや速さは、時代ごとにちがいます。

ずれ動きを受けると岩石は変形します。断層帯で変形した岩石を「断層岩」といいます。深さにより温度や圧力がちがうため、いろいろな断層岩ができます。


マイロナイト:地下の深さ15km付近で、高温のため、「焼きなまし」(固体のまま結晶構造がゆっくりと造りかえられる再結晶作用)を受けながら、壊れることなく延ばされるように変形した岩石。この写真は、領家変成帯の花崗岩が変形したマイロナイト。もとの岩石がちがうと、みかけがちがうマイロナイトができます。


カタクレーサイト:おおよそ深さ5~15kmで、圧力が高いために、断層が動くことで岩石が砕かれても、固まった状態が保たれている岩石です。


断層ガウジ:地表に近い深さで、温度も圧力も低いために、岩石が砕かれたまま固まっていない破砕物です。破砕された岩の破片が30%以上残っているものを「断層角れき」、30%以下しか残っていないものを「断層ガウジ」といいます。多くの場合、摺りつぶされた粉砕物が水と反応して「断層粘土」ができています。この標本は、「断層ガウジ」を接着剤で固めてから切断研磨したものです。

北川露頭標本を詳しく見てみる!

岩質による区分

⑤の黒っぽい帯状の部分から左側が領家変成帯の岩石です。

①②白~淡褐色の部分は、もとの岩は花崗岩です。いったん深部で延ばされてマイロナイトになり、その後に中深部へ上昇し、砕砕と固結をくりかえしてカタクレーサイト(破砕岩)になっています。

③暗色の縞状の部分もカタクレーサイトです。もとは花崗岩ですが、変形と変質で暗色の縞が入ったと思われます。露頭から採取した試料の顕微鏡観察で、ごく一部に変成岩の破片らしきものがみつかりました。

⑤この黒っぽい部分は①の白っぽい部分と似た組織に見え、花崗岩のカタクレーサイトが熱水の上昇で変質して暗色に見えるようになったと考えられます。なぜ黒っぽいのかは未解決です。この部分の岩石から1240万年前±70万年という放射年代(カリウムーアルゴン全岩年代)が得られています。

④右側の緑色の部分は、三波川変成帯の結晶片岩が変形したカタクレーサイトです。緑色片岩の破片と黒色片岩の破片が混在しています。

⑦の白黒の縞状の部分は断層ガウジ(粘土)です。三波川変成帯の泥質片岩に含まれる白雲母が変質した粘土が含まれているので、大部分は三波川変成帯側の岩石が粉砕され水と反応してできた粘土だと考えられます。

断層の形成順序

⑤の熱水変質帯は、ほぼ垂直な断層の活動にともなって生じた割目に沿って熱水が上昇して生じたと考えられます。

⑥の右側から左側へずり上がる多数の低角度の逆断層群が、⑤の熱水変質帯を含むほぼ垂直な多数の断層を切っています。断層の活動史を復元するとき、断層どうしの「切った切られた関係」により新旧を判定します。したがって⑥の逆断層群は、⑤の1240万年前の熱水変質をともなうほぼ垂直な断層群より新しい活動期の断層です。

⑦の白黒の縞状のほぼ垂直な断層粘土帯は、⑥の低角度の逆断層群を切っているので⑥よりさらに新しい活動でつくられた(つくられている?)粘土です。

⑦の断層粘土帯の中に、変形した断層粘土を切るスパッと切ったような断層が見えます。この断層は、すべての構造を切っており、この露頭に出現した最新の断層です。ただし、露頭の上に堆積した、鹿塩川の昔の河床れきは切っていないように見えました。

熱水変質帯が形成されるより前の断層活動

熱水変質帯の形成により、それ以前の断層活動の痕跡は、上書きされてしまいましたが、それ以前にも、以下のように、何度か活動期があったことが知られています。

1)大陸時代の鹿塩時階のマイロナイト

中央構造線は約1億年前~7000万年前にアジア大陸の内部の大規模な左横ずれ断層として誕生しました。この活動期を「鹿塩時階」といいます。鹿塩時階のころは領家変成帯の変成岩と花崗岩は高温の地下深部にあって、ゆっくりと延びるように変形したマイロナイトになりました。領家変成帯側の幅数百mにはマイロナイトが良く露出しています。しかし地質境界から幅数十m以内は、その後の変動でカタクレーサイト(破砕岩)になりました。北川露頭でも領家変成帯側の破砕岩の岩片を顕微鏡で観察するとマイロナイトだった痕跡がかろうじて見つかりますが、マイロナイトとしての姿は失われています。

2)領家変成帯と三波川変成帯の接合

鹿塩時階の後も何回も異なる動き方の活動期をくりかえしています。ある時期には領家変成帯より深い場所でできた三波川変成帯が上昇し、領家変成帯と接するようになりました。北川露頭の破砕岩にも、このころの活動でできたものが含まれている可能性があります。

3)日本列島になった時代

2000万年前~1500万年前にかけては、中央構造線を含む日本列島がアジア大陸から離れて太平洋側へ向かって移動しました。一方、そのころフィリピン海プレートも東へ動いて西南日本の沖合に移動し、北向きに向きを変えて西南日本の下に沈み込み始めました。それにともない、フィリピン海プレート上の伊豆‐小笠原列島が衝突し始めました。この衝突を受けて南アルプス地域の中央構造線は北方へ曲げられ、南北方向になりました。それとともに飯田市南信濃と静岡県浜松市の水窪から南へ、外帯を切って南海トラフに達する赤石構造帯も生じ、水窪以北の中央構造線と一体になりました。断層運動は最大の力の方向に対し斜めに生じます。南北方向の中央構造線‐赤石構造帯に、伊豆‐小笠原列島の衝突による力が南東から加わり、東側が北方へ60kmもずれ動く大規模な左横ずれが生じました。この活動を、中央構造線としては南アルプス地域に生じた「赤石時階」の活動、あるいは赤石構造帯と一体なので「赤石構造帯の活動」と言います。南アルプス地域で見られる地質境界は、この活動期に組み替えられたものです。中央構造線の南アルプス地域の活動年代のひとつとして得られている2700万年前~1200万年の年代が、赤石時階のものである可能性があります。北川露頭の破砕岩は、この時期の変形を強く受けていると思われます。

⇒日本海の拡大と赤石構造線・赤石時階

熱水変質帯が形成された頃の断層活動

⑤の黒っぽい変質カタクレーサイトの岩石は、1240万年前±70万年という放射年代が得られています。「放射年代」というのは、もともと岩石中に含まれる放射性元素(親元素)が放射線を出しながら、決まった時間で別の元素(娘元素)に変わる性質を利用し、結晶中に残っている親元素と娘元素の割合から、その親元素が結晶中に閉じ込められた年代を求めるものです。親元素の半分が娘元素に変わる時間を半減期といいます。親元素の種類と閉じ込めている結晶の種類によって異なりますが、親元素が結晶中に最初に閉じ込められるのはマグマから晶出した結晶が冷却した時です。この変質カタクレーサイトの場合、計測された親元素はカリウム40で、半減期12億5000万年で娘元素のアルゴン40に変わります。アルゴン40は気体なので逃げ出しやすく、マグマや熱水の上昇、断層運動にともなう摩擦熱などで温度が上がると逃げ出し、温度が下がると再びアルゴン40が溜まり始めます。これを年代のリセットと言います。そこでこの1240万年前±70万年という年代は、熱水の上昇によりリセットされた年代だと考えられるわけです。カリウム40‐アルゴン40の放射年代のリセットには数100℃以上の温度が必要ですから、そのころはこの岩石はまだ地下数100m~数1000mの深さにあったと考えられます。地表付近は低温ですから、地表付近に上昇後に再び断層運動があったとしてもリセットはされません。つまり、1240万年前という年代は、そのころ十分に温度が上がるような環境で、熱水変質をともなう断層活動が記録されたことを示していますが、「それ以後に断層運動がなかった」ということを示すわけではありません。

1240万年前は、日本列島がアジア大陸を離れた直後で、フィリピン海プレートが今の位置に移動して西南日本の下へ沈み込み始めたころです。フィリピン海プレートの若く温かい四国海盆の部分が沈み込み始めたために、フィリピン海プレートが深く沈み込んだ先で造るマグマが例外的に海溝に近い四万十帯に貫入し固結した「外帯花崗岩」ができたり、中央構造線付近に瀬戸内火山岩類が噴出した時代です。また伊豆‐小笠原海溝が今の位置に移動したために、大平洋プレートが深く沈み込んだ先で造るマグマが上昇している浅間‐八ヶ岳‐富士‐箱根‐伊豆七島の火山帯の原型が形成され始めたころです。南アルプス地域にも小規模なマグマ活動が生じて、マグマが貫入した岩脈が見られます。中央構造線沿いにも伊那市長谷の溝口露頭では、断層運動で生じた割目に貫入した岩脈が見られます。北川露頭ではマグマそのものは達していませんが、大量の熱水が上昇して変質帯を造ったと考えられます。そのころは赤石時階の末期~直後にあたるので、熱水が貫入した割目を生じた断層運動も左横ずれだったと考えられます。

低角逆断層(衝上断層)群の断層活動

⑥の東から西へ押しかぶさる低角逆断層群は東から押す力で生じました。したがって1240万年前以降に中央構造線にかかる力が、南東方向からの押しから、東方向からの押しに変わったことが分かります。

断層粘土を造った断層活動

⑦の断層粘土帯は、⑥の低角逆断層群を切っています。未固結の断層粘土は、地表やあまり深くない地下でできます。つまりこの露頭に見える岩石がかなり地表付近まで上昇捨て以降のずれ動きの痕跡と考えられます。大鹿村安康の露頭では古い地質境界から36m内帯側に未固結の断層粘土を含む新しい活動の露頭が発見され、新しい活動が右横ずれであることが分かりました。伊那市長谷非持のダム湖岸で最近調査された露頭でも、古い左横ずれの断層を新しい右横ずれの断層が切っていることが確認されました。北川露頭を覆う礫層を取り除いたときの観察でも、古い断層が左横ずれなのに対し、新しそうな断層が右横ずれである傾向が見えました。このことは南アルプス地域にかかる力が北東方向からの押しに変わったことを示しており、この断層粘土帯も北東方向からの押しによる右横ずれで生じた可能性が高いと考えられます。つまり、1240万年前以降に、地殻変動を起こす力の向きが、南東からの押し→東からの押し→北東からの押しに変わってきたことが読み取れます。

北川露頭の最新の断層活動は?

⑦の断層粘土帯に生じた一直線にスパッと切っている最新の断層は、岩圧がほとんどかからない地表付近で生じたと考えられます。「活断層」とは、最近の時代にできた地形や地表付近の地層を食いちがわせている断層のことです。「最近の時代」の範囲は目的によって異なりますが、おおむね200万年前以降~12万5000年前以降が用いられています。中央構造線の一部の区間には活断層としての再活動が見られます。活断層の地表に食い違いが生じる活動は数100年に1度~数万年に1度ですが、そのくりかえしによって地形や地層のくいちがいは数10m~数km以上に成長します。この食い違いが蓄積していく速さから活断層の活動度をA級(1000年平均で10m~1m)、B級(1000年平均で1m~10cm)、C級(1000年平均で10cm~1cm)に区分しています。南アルプス地域の中央構造線は、日本中の活断層を統一基準でまとめた『新編日本の活断層(1991年)』によれば浜松市佐久間~大鹿村大河原の区間は尾根などの地形の食いちがいから右横ずれの活断層とされ、活動度は佐久間~青崩峠はC級、飯田市遠山区間はB級、地蔵峠~大河原区間はC級とされています。また大鹿村鹿塩~茅野市杖突峠の区間は「活断層の疑いのある線状地形(リニアメント)」とされていました。しかし、最近伊那市長谷非持のダム湖沿いの露頭で、10万年前の御岳の火山灰を含む堆積物が断層で食いちがっていることが発見され、その食いちがい量はC級であることが分かりました。したがって北川露頭を含む長谷~鹿塩の区間は活断層である可能性がきわめて高くなりました。この北川露頭の最新の断層は、年代が分かっていませんが、活断層と見なされる期間に動いた可能性が高いと思います。

⇒活断層ってなに?
⇒活断層としての中央構造線