大鹿村中央構造線博物館



城の腰露頭(大鹿村)

概要

長野県下伊那郡大鹿村大河原下青木
国道152号線の大鹿村中央構造線博物館入口から地蔵峠方面へ600mの国道南側に入口の標識があります。博物館から歩いて行けます。

野外観察地の城の腰露頭のページも参照ください。

城の腰露頭の説明(伊那史学会『伊那』2002年8月号より抜粋)

  • 露頭に向かって中央上部から左下にかけて、幅10センチメートル程度の白色の粘土質の帯が目立ちます。その左上側に沿って淡緑色の粘土があり、白色の帯から漸移しているように見えます。淡禄色部には濃緑色の微細な岩片が含まれていますが、これは蛇紋岩の岩片です。淡緑色の粘土は蛇紋岩が粘土化したものです。してみると、白色の帯も柁紋岩に含まれていた鉱物が濃集したものである可能性があります。観察会のときの議論では、タルク(滑右)が候補に挙げられていました。露頭の左側面に見えているのは蛇紋岩です。
  • 露頭の中央下部から右下部にかけて、領家帯の変成岩を原岩とする片状力タクレーサイトが露出しています。地表に近い部分は、風化して赤褐色になっています。白色の帯の右下の、幅30~50センチメートルの帯状の部分は、粉砕された岩片になっています。領家帯の片状カタクレーサイト岩片の間も、粉砕岩片が埋めています。このような未固結の断層内物質を断層ガウジといいます。カタクレーサイト岩片は分断され回転しています。
  • 左の三波川帯側は、淡緑色粘土の上方の地表近くに、黄色と黒色の蛇紋岩片も見えます。この岩片は粘土に囲まれた“根無し”で、斜面に沿って滑ってきたと思われます。三波川帯側の地表付近は、断層運動とは無関係な地すべり性の滑動で、かなり動いているようです。
  • 白色の帯の下側のガウジ帯で、物質的には三波川帯と領家帯に別れるようです。断層面は、もともと高角度に立っていたものが、地すべり性の滑動によって寝てしまった可能性が高いと思われます。

緑色岩の巨大転石の偏光顕微鏡写真

露頭に行く途中の緑色岩の巨大転石から薄片を作成したところ、三波川帯上部の御荷鉾(みかぶ)緑色岩体中のドレライト(玄武岩質半深成岩)ないし細粒の斑れい岩でした。
御荷鉾緑色岩体は、中生代ジュラ紀に南方の古太平洋の海底に噴出した巨大な溶岩台地の一部で、海洋プレートの北上によりジュラ紀~白亜紀に古アジア大陸に付加したと考えられています。

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×10,下方ポーラー x10,クロスポーラー
×25,下方ポーラー ×25,クロスポーラー