安康露頭(大鹿村)
概要
長野県下伊那郡大鹿村大河原安康
大鹿村中央構造線博物館から、国道152号線に出て、南の地蔵峠方面に9kmほど進んだところの青木川東岸に露出しています。国道からの入り口は、2箇所あり、それぞれ「安康露頭」の標識があります。
博物館側(北側)の入り口からは、広い歩道を5分ほど下ったところにあります。
地蔵峠側(南側)の入口には、トイレがあり、露頭までも2分ほどで着きますが、安康沢に沿った幅50cmほどの狭小な歩道です。
露頭は、青木川本流の対岸に露出しています。
野外観察地の安康露頭のページも参照ください。
北側(博物館側)の入り口
南側(地蔵峠側)の入り口
露頭の様子
露頭説明
領家変成帯と三波川変成帯の岩石が直接接しています。左側の淡褐色の岩石は領家変成帯の花崗岩類がいろいろな深さでくりかえし変形を受けた破砕岩です。一部は淡緑色に変質していて、もとの岩が苦鉄質だった可能性があります。右側の緑色の岩石は三波川変成帯の緑色岩または緑色片岩です。その左端の黒色片状の岩石は泥質(黒色)片岩で、その左端が領家変成帯の岩石との境界です。
ただし、当初は、地質境界としての中央構造線の位置は、現在の位置より領家変成帯側の黒色の熱水変質帯の位置とされていました。河本ほか(2013)により、上図の位置で落ち着きました。
領家変成帯側には、黒色の熱水変質帯が2列見られます。北川露頭の地質境界付近の黒く変色した熱水変質帯と同様、1500万年前頃の左横ずれの再活動期の終わり頃に、断層に沿って、熱水が上昇したことが考えられます。
松島(1994)では、露頭のクリーニングの後の観察で、高角の断層を切って、低角の逆断層が見られることを報告しています。この逆断層系は、北川露頭標本でも確認できますが、松島(1994)には、赤石山地全般に広く認められていると述べられています。田中ほか(1996)には、高角な横ずれ共役断層活動の後、逆断層の活動となったとの記述がありますが、いずれにしても、東西圧縮環境下で形成されたという点では、一致しています。
高角の断層(桃色の矢印)を切る低角の断層(水色の矢印)が見られる。
青木川西岸の新しい断層
大鹿村大河原から浜松市水窪までの地域では、中央構造線に沿って、地形の右横ずれ変位が見られることが、坂本(1977)で報告されています。
一方、安康露頭の地質境界から35m西側の青木川西岸に、脆弱なガウジ帯が露出しており、高木ほか(2015)には、安康西露頭と命名されています。上の写真のハンマー右端より右側の褐色部分に小さい礫が落ち込んでおり、第四紀に活動した断層の可能性があります。
調査は、継続中のため、露頭の上を踏みつけないように、ご協力をお願いいたします。
文献
坂本正夫(1977) 『赤石山地の中央構造線に沿う変位地形』, MTL(中央構造線)研究連絡紙,2, p103-115.
松島信幸(1993) 『南アルプスの中央構造線』, 断層研究資料センター・伊那谷自然友の会・大鹿村中央構造線博物館.
松島信幸(1994) 『赤石山地の中央構造線に対する新しい見方』, 飯田市美術博物館研究紀要第4号p113-124.
田中秀実・高木秀雄・井上 良(1996) 『中部地方中央構造線に伴う断層破砕岩類の変形・変質様式と断層活動史』, 構造地質第41号p31-44, 構造地質研究会.
河本和朗・石川剛志・松多範子・廣野哲朗(2013)『長野県天然記念物,中央構造線安康露頭における原岩の判定と地質境界断層の決定
-偏光顕微鏡観察と全岩化学分析による解析-』, 伊那谷自然史論集第14号, p1-17.
高木 秀雄・杉山 幸太郎・河本 和朗・北澤 夏樹(2015)『伊那市長谷~大鹿地域の中央構造線の第四紀における活動』,日本地質学会学術大会講演要旨第122年学術大会(2015長野)