大鹿村中央構造線博物館



中央構造線の始まりから現在まで概略

1)中央構造線の始まり(1億年~7000万年前)

中央構造線は、およそ1億年前、まだ日本海が開く前の、日本列島がアジア大陸の一部だった時代に、海溝と平行に大陸の中にできた断層です。中央構造線は、プレートの境界だったことはありません。あくまでも大陸プレートの中にできた大地のズレ目です。当初は北北東-南南西方向の海溝と並行に生じた断層で、当時の海洋プレートの北向きの沈み込みに引きずられて、海溝に近い側が北へずれ動いていました。

中央構造線のはじまり

(2)中央構造線を境に領家変成帯と三波川変成帯が接する(時期は未解決)

領家変成帯と三波川変成帯は、もともと温度と深さ(圧力)が異なる、離れた場所でできました。数千万年の間に中央構造線を境に接するようになったのですが、いつ、どのように動いて接したのかはまだよくわかっていません。

「対の変成帯を接しさせた中央構造線(「対の変成帯」ページ内)

(3)日本海の形成と中央構造線の屈曲(2000万年前~1500万年前)

2000万年~1500万年前に日本海が開き、西南日本は、時計回りに回転して、中央構造線の向きは東西方向になりました。

同じ頃、フィリピン海プレートが日本列島の沖合に移動してきて伊豆‐小笠原列島が衝突し始めました。ただし、いつから衝突が始まったかについては、2500万年前から1200万年前まで、いろいろな見解があり、未解明です。

西南日本の沖合の海溝も中央構造線も、この衝突を受けて中部地方~関東地方では北方に「ハ」の字型に曲がりました。これ以降、中央構造線は、断層の向きや力の受け方が区間ごとに異なり、ずれ方が異なる別々の断層になりました

日本海の拡大と赤石構造線・赤石時階

(4)現在の地殻変動の時代(200万年前~現在)

現在の日本列島の地殻変動は、だいたい200万年前頃から始まりました。現在の日本の山や平野の地形もほぼその頃から、できてきたと考えられています。

最近の時代にくり返しずれ動き、近い将来にもずれ動く断層を「活断層」と言います。現在の変動で新しい活断層ができる場合もありますが、古い断層を利用して活断層になる場合もあります。大きな古傷である中央構造線も、いくつかの区間は今の地殻変動を起こす力で再びずれ動き始め、それぞれに活動度が異なる活断層になっています。

活断層ってなに?(「活動度」の説明あり)

ただし、古傷である断層が現在の地殻変動を起こす力を受けて活断層になっている場合、力の向きもずれ方も異なっているので、地表に現れるずれ目の位置も古傷とは完全には一致しないのがふつうです。極端な場合は数kmも離れたところに活断層としてのずれ目が出現することもあります。そのため、昔の変動で生じた「地質境界としての中央構造線」と「活断層としての中央構造線」が地表に現れている位置は、地域によっては数km離れている場所もあります

中央構造線沿いには多くの区間で活断層としての新しいずれ目が見られます。

四国~近畿地方西部では、活動度が高い活断層が連続していて、政府の地震調査本部は、「中央構造線断層帯」と名づけて、地震の発生確率の評価を行っています。

伊勢平野南縁~愛知県にかけては活断層かどうかは良く分かっていません。

静岡県佐久間~大鹿村大河原にかけては地形の右横ずれが見られることから確実に活断層で活動度はBC級とされています。最近大鹿村大河原~伊那市長谷の区間もC級活断層である可能性が高い証拠が発見されました。

活断層としての中央構造線

 

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