活断層としての中央構造線
中央構造線の古傷を利用した活断層
最近の時代にできた地形面や地表付近の堆積層をくり返し食いちがわせていて、近い将来もずれ動き、地震を発生すると考えられる断層を「活断層」といいます。「最近の時代」の範囲は、概ね200万年前~12万5000年前以降が用いられています。
活断層は、およそ200万年前から始まった「今の地殻変動の時代」になってから新しく生じる場合もあれば、過去の変動でできた古い断層の一部区間を利用する場合もあります。中央構造線の古傷の一部も活断層になっています。
活断層区 | – | 長さ・km | 活動度 |
中部日本 | 杖突峠~地蔵峠 | 50 | C |
– | 地蔵峠~佐久間 | 50 | C |
– | 佐久間~新城 | 30 | C |
伊勢湾~紀伊半島東 | 豊川~五条 | 180 | 不活動 |
紀伊半島西 | 五条~紀淡海峡 | 70 | A |
淡路島 | 紀淡海峡~鳴門海峡 | 30 | A? |
四国北東 | 鳴門~伊予三島 | 106 | A |
四国中央 | 伊予三島~小松 | 47 | A |
四国北西 | 丹原~双海 | 35 | B |
伊予灘~別府湾 | 伊予灘~別府湾 | 110 | B |
九州 | 大分~出水 | 200 | B |
岡田篤正(1992)
上の図と表は、活断層としての中央構造線を評価したものの一つです。地表に活断層のずれ動きが生じるのは数百年~数万年に1回で、1回の食い違いは10m以内です。しかし数10万年もずれ動きが繰り返されると、合計の食い違い量は数10m~10数kmに達します。この長期間の食い違いの速度を「活動度」と言い、ふつうは1000年あたりの平均値で表します。1000年平均で1m~10mの食い違い速度(変位速度)の活断層をA級、10cm~1mのものをB級、1cm~10cmのものをC級に区分します。
中央構造線は前に述べたように伊豆‐小笠原列島の衝突で曲げられたころから赤石山地地域と四国では異なるずれ動き方をする断層に分かれています。また現在の日本列島の地殻変動の様子は、九州中央部~沖縄トラフでは南北の引っ張り、四国~紀伊半島西部ではフィリピン海プレートによる南東からの押し、北九州~東北地方は太平洋プレートからの東からの押し、伊豆半島周辺は伊豆半島の衝突による南東からの押しというように、力の受け方がことなっています。そのため、中央構造線が活断層になっている区間と、活断層になっていない可能性が高い区間があり、活断層になっている区間でも区間ごとに活動度が異なっています。
上の図についても、九州では中央構造線の位置そのものが未確定、伊勢平野南縁は活断層の可能性がある、茅野~水窪区間は赤石構造線と連続しているのではないかなどの異論が考えられます。
中央構造線活断層系近畿地域ストリップマップ(通産省地質調査所1994)に加筆
断層を立体的に見ると面積がある断層面で地下15km以上の深さまで広がっています。断層面の角度を「傾斜」といい、水平に近い角度から垂直のものまで多様です。岩石の破壊実験では、横ずれ断層では垂直に近く、引かれてずり落ちる正断層では60度程度の高角度、押されて押し被さる逆断層では30度程度の低角度になる傾向があります。ただし実際の断層では、古傷の影響や分岐のしかたなどで、まっさらな岩石の破壊実験どおりにはなりません。
中央構造線は長い間に異なるずれ方の活動期を何度も経験してきました。ずれ方が変わり、異なる傾斜の断層が生じると、地表に現れる食い違いの位置も変わります。したがって、「活断層としての中央構造線」と「地質境界としての中央構造線」の、地表での位置がピッタリ重なるとは限りません。
図は和歌山県の例です。ここでは、地質境界としての中央構造線は、白亜紀の和泉層群と三波川変成岩の境界断層です。けれども新しい地形や堆積層を食い違わせている活断層は、段丘と山地の境界である逆断層の菖蒲谷断層と、和泉山脈中の右横ずれの五条谷断層です。活動度が高い活断層である五条谷断層は、和泉層群を切っていて、地質境界としての中央構造線と五条谷断層は、1500m離れて並走しています。
なお、「活断層としての中央構造線」について、文部科学省地震調査研究推進本部や内閣府中央防災会議などは単に「中央構造線断層帯」と呼んでいて、今のところ大分県東部~奈良県五條付近までを評価対象にしています。これは活動度および社会的影響の大きさ(都市部を通っているなど)から98の「断層帯」を優先的に評価したためです。三重県より東の中央構造線が活断層ではないというわけではありません。
南アルプスの中央構造線は、活断層?
大鹿区間の中央構造線の評価は?
『新編日本の活断層』では、「確実度」という評価基準も設けています。南アルプス地域の中央構造線については浜松市佐久間~大鹿村大河原の区間は、尾根などの地形が右横ずれにずれていることから確実度Ⅰの右横ずれ活断層で、飯田市遠山地域は活動度B級、その他は活動度C級としています。飯田市遠山地域では、斜交する平岡断層(または遠山川断層)と合わせて1718年にずれ動き、「享保3年三河・伊那の地震(または遠山地震)」を起こしています。
一方、大鹿村鹿塩~茅野市杖突峠の区間は確実度Ⅲで、活断層の可能性が考えられてきました。最近、伊那市長谷のダム湖畔の10万年前の御嶽の火山灰を含む堆積層が断層で食い違っているのが発見され、その食い違い量から活動度C級であることが分かりました(高木ほか,2019)。したがって大鹿村鹿塩~伊那市長谷の区間も活断層であることがほとんど確実になりました。
大鹿村では遠山地震の被害記録は見つかっていない
大鹿村の古文書には、1718年の遠山地震による被害の記録は見つかっていません。大鹿地域の活断層としての中央構造線がずれ動いたのならば、地表にずれが達しなくてもかなりの揺れは生じて、古文書に記録されるような被害が生じるはずです。したがって大鹿の区間は1718年には地震を発生するようなずれ動きは無かったと考えられます。一続きの活断層帯で、ずれ残っている部分は「空白域」と呼ばれ、次に地震が発生する候補地になります。それがいつのことかは分かりませんが、大鹿地域の中央構造線も、地震の発生規模が大きければ、地表にも食い違いが現れるような活断層の活動があると考えるべきと思います。
ただし、中央アルプス‐伊那谷‐南アルプスの大地形を造っている主要な活断層は、活動度A級~B級の伊那谷(活)断層帯です。発掘調査により、少なくとも縄文時代に2回、数mの食い違いを地表に残した活動があったことまでは分かっています。しかし北端に近い箕輪町と南端に近い平谷村で近世に地表に達した小規模なずれが発見されているだけで、伊那谷の主要部の駒ケ根~飯田の区間でずれ動いた跡は未発見で、飛鳥時代からの古文書にも伊那谷全域に被害が生じた地震の記録は未発見です。したがって、伊那谷断層帯には強い揺れと地表の活断層に食い違いを生じるエネルギーが数千年間、未解放のまま蓄積していると考えられます。