大鹿村中央構造線博物館



「地質境界としての中央構造線」と「活断層としての中央構造線」

中央構造線の活動期(時階)によって位置が変わる!

地殻変動の原因になる大きな力の向きや大きさが変わると、断層のずれ方も変わります。中央構造線も、何回もずれ方を変えてきました。中央構造線の活動期は、とくに「時階(じかい)」と呼ばれています。活動期(時階)が異なると、ずれ方が異なるだけでなく、地表に現れる位置も変わることがあります。したがって中央構造線の位置を見る時にも、どの活動期の中央構造線を見ようとしているのか、区別する必要があります。ふつうに「中央構造線」と呼ぶ時には、西南日本内帯と外帯の境界になっている「地質境界としての中央構造線」か、現在の地震に関わる「活断層としての中央構造線」のどちらかです。

「地質境界としての中央構造線」

中央構造線を挟んで、内帯側の「領家(りょうけ)変成帯」と外帯側の「三波川(さんばがわ)変成帯」の岩石が並んで接しています。この、でき方が異なる変成帯の岩石が接している境界が「地質境界としての中央構造線」です。

領家変成帯と三波川変成帯は、ともに中生代白亜紀にアジア大陸の中で造られました。中央構造線も中生代白亜紀に誕生しました。領家変成帯と三波川変成帯の岩石が中央構造線のどの活動期で接するようになったのかは、まだよく分かっていませんが、日本列島がまだ大陸の一部だったころと考えられます。また、今見ている地質境界は、その後の活動期の断層で上書きされています。

日本列島が大陸から離れた新生代新第三紀には、フィリピン海プレートが日本列島の沖合に移動してきて伊豆‐小笠原列島が衝突し始めました。その衝突を受けて中央構造線の中部地方~関東地方の部分が、北方に「ハ」の字型に曲がってしまいました。それ以後は、力の受け方が地域ごとに異なるようになり、活動の様子が異なる別々の断層になっています。

したがって、今の地質境界として見える中央構造線も、地域ごとに異なる活動史を持っています。けれども、「地質境界としての中央構造線」の両側にある岩石は、関東~九州のどこでも同じです。

「活断層としての中央構造線」

一方「活断層としての中央構造線」は地下15km以上の深さに達する中央構造線の古傷が、現在の地殻変動を起こしている力によってずれ動かされ、そのずれ目が地表に現れたものです。ずれ方が異なると、断層面の角度も変わるので、地表に現れる位置も変わります。「地質境界としての中央構造線」と「活断層としての中央構造線」が地表に現れている位置は、地域によっては数km離れていることもあります。

今の日本列島の地殻変動は、おおよそ250万年前に始まりました。「活断層」とは最近の時代にくり返しずれ動き、近い将来にもずれ動く断層です。活断層といっても、地表にまで食いちがいが出現するようなずれ動きが生じるのは数百年~一万年に1度ぐらいです。しかし、それをくりかえすことによって地表に食いちがいが成長し、わたしたちは活断層の存在を知ることができます。したがって、日本列島には色々な時代にできた無数の断層がありますが、最近の時代にできた地形(川の流路や段丘面など)や堆積層(最近の火山灰を含む地層など)を食い違わせている断層を「活断層」と判定することができます。活断層は、長い間に食いちがいが蓄積していく速度の違いで「活動度」をA級~C級に区分しています。

日本列島にはたくさんの活断層がありますが、地質境界としての中央構造線沿いに現れている活断層が「活断層としての中央構造線」です。関東~九州の中央構造線のうち、活動度が高い活断層になっている区間、活動度があまり高くない活断層の区間、活断層かどうかよく分かっていない区間、おそらく活断層ではない区間など、地域により活断層としての性格は大きく異なっています。さらに、中央構造線がどこにあるのか分からない地域もあります。

 

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