大鹿村中央構造線博物館



鹿塩温泉のH2Oの長い旅路1:今沈み込んでいる海洋地殻の故郷

ここから先は学芸員の河本が、2019年の時点で大胆に想像しているストーリーです。

フィリピン海プレートの海底地形

クリックして拡大

フィリピン海プレートの表面は、上のマップのように起伏に富んでいます。
鹿塩温泉の直下では、フィリピン海プレートの上面は35kmの深さにあります。その部分のフィリピン海プレートの海洋地殻が誕生した場所は、おそらくマップの「四国海盆」と書いてあるあたりで、2000万年ほど前です。

それより前、2500万年前ごろには日本列島はアジア大陸の一部でロシア沿海州の縁にありました。日本海溝は、そのすぐ沖合にありました。

同じころ、フィリピン海プレートに太平洋プレートが沈み込んでいる伊豆‐小笠原海溝も、九州沖から南方に向かって続いていました。マップに九州沖~沖鳥島~パラオ島へ続く「九州‐パラオ海嶺」という海底の高まりが見えますが、これが当時の伊豆‐小笠原‐マリアナ列島の位置です。そのすぐ東方に海溝がありました。

日本海と四国海盆の誕生

やがて1500万年前にかけて、日本海溝が東方へ動いて日本列島が大陸から引っ張り出され、背後に日本海が開きました。

同じころ、伊豆‐小笠原‐マリアナ海溝も東へ移動し、伊豆‐小笠原‐マリアナ列島、正確には地下の地殻の部分を含む島孤(とうこ)も東へ移動しました。その時に列島が割れて西縁の部分が元の位置に残ったのが九州‐パラオ海嶺です。

九州‐パラオ海嶺と伊豆‐小笠原‐マリアナ島孤とのあいだの割目は拡大し、四国‐パレスベラ海盆になりました。拡大する四国‐パレスベラ海盆には大量の玄武岩質マグマが湧き出しました。このときに、熱い溶岩と海水のH2Oが反応し、多量の水を変質鉱物として含むようになったはずです。

1500万年前ごろからフィリピン海プレートが西南日本の下に沈み込みはじめました。駿河トラフから沈み込んでいるフィリピン海プレートの沈み込み速度は1年に4cmです。仮にその速度で1500万年間沈み込み続けると、600kmになります。
今、鹿塩温泉の下にあるフィリピン海プレートの地殻が、四国海盆が拡大しているときに生まれた部分だとすると、その場所は、今の場所から600kmほど南方だったはずです。その場所の見当をつけると、だいたいマップの「四国海盆」のあたりか、もしフィリピン海プレートが進む速度が昔はもっと速かったとすれば、もう少し南方だったかもしれません。

じつは、日本海の拡大と、四国海盆の拡大のタイミングには、いくつかの仮説があります。また、フィリピン海プレートが西南日本の下に沈み込み始めた時期についても異なる見方があります。ここに書いたシナリオは、おおまかな動きを知るための目安と思ってください。

 

⇒「鹿塩温泉のH2Oの長い旅路2:含水玄武岩」へ進む

⇒「謎の鹿塩温泉」TOPに戻る