大鹿村中央構造線博物館



鹿塩片麻岩の模式タイプ

縞状角閃石黒雲母花崗閃緑岩(飯田市天竜川転石) 
fig19

  大鹿地域を中央構造線に関して有名にしたのは,原田豊吉による「鹿塩片麻岩」の命名(1890)である.高森山林道は,その鹿塩地籍にある.一方では,「鹿塩マイロナイト」はばくぜんと中央構造線沿いに分布するマイロナイトと捉えられているように思える.では,1890年に原田豊吉により命名された「鹿塩片麻岩」は,どのような岩石だったのだろうか.
  杉(1935)の引用によれば「「鹿塩片麻岩」とは「かつて原田博士により天竜川上流地方に分布する片麻状岩石の東縁部を占める灰緑色の「ポーフィロイド状角閃片麻岩」に与えられた名称であって,当時該地方に於ける始原代片麻岩系の最下位を占めるもので,閃緑岩に相当する成分を持った凝灰岩からの変成産物であろうと考えられていた(T.Harada: Die Japanischen Inseln, 1890)」.
  この記述から,火山砕屑物のような,細粒基質と斑晶様鉱物から構成され、斑晶様鉱物の多くは斜長石と角閃石であったため閃緑岩質とされたことが想像される.また,面構造が発達しているため片麻岩とみなされた.また基質の黒雲母が緑泥石化していたために灰緑色を帯びていた岩石であったと考えられる.このような特徴から,原田の「鹿塩片麻岩」は角閃石黒雲母トーナル岩を原岩とするポーフィロクラスティック・マイロナイトに相当すると考えられ,黒雲母の一部が変質して灰緑色を帯びていたのであろう.トーナル岩組成の部分と花崗岩組成の部分が縞状をなす岩相であった可能性もある.
  1930年代に,「鹿塩片麻岩」は断層運動により形成されるマイロナイト(ミロナイト)であると提案されるようになった.しかし当時考えられていたマイロナイトの形成機構は機械的な破砕である.「マイロナイト」という岩石名そのものが,ラテン語の「挽き潰す」に由来し,日本語の「圧砕岩」はその訳である.
  しかし機械的な破砕ならば,石英の方が長石よりもはるかに強いはずである.石英はすべて細粒化し長石が斑状に点在する岩石は,当初からそのような組織をもった岩石と考えられた.杉(1935)ほかにより鹿塩片麻岩が花崗岩類を原岩として断層運動により変形した岩石であると提案された後も,引き続き,その原岩や変形機構について,長く論争が続いた.
  1970~80年代に,再結晶作用が生じる温度のもとで剪断応力がかかる場合に,動的再結晶により多結晶細粒化しつつ塑性変形が生じるメカニズムが明らかになり,この問題は解決したと考えられる.鉱物種により,動的再結晶が卓越し始める温度が異なることから,石英がすべて細粒化しているにもかかわらず,斑状の長石が残存している謎も解明された.
  このように,マイロナイトは,機械的破砕ではなく,強い剪断応力化における再結晶作用により形成された断層岩である.石英が細粒緻密になっているために,むしろ原岩の花崗岩よりも「固い」岩石である.fig19の試料は,大鹿地域から小渋川と天竜川により運ばれたと考えられるが,少なくとも20km以上の距離を壊れることなく流れ下っている.

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